窮窮自適
2007-05-05


禺画像]
上の写真は、窓辺の家庭菜園?
二つ前の写真で、右側少しジーンズなどが写っているヘアメイクさん。
僕のことを「悠々自適」だといっていた
多分、窮窮自適が正しい。

連休後半で、ジャン・バルジャンとコゼットの物語を3つ見た。
3回見たのではなく、「レ・ミゼラブル」の3つのバージョンを見た。
古典的だが、なかなか泣かせる、
それぞれ、微妙にストーリ展開というかディティールに違いがあり
(英語版のVHSで借りたものは、相当端折ってあり、説明的だったが )
いったいどれが、原作に忠実なのか?
ヴィクトル・ユゴーの原作でも読まなきゃね?
まぁ、そこまで「はまって」はいない。
前述のヘアメイクさん曰く、映画より舞台のほうがイイと思う、、、そうだ。
その舞台というか、ミュージカルが
どの演出・ストーリーを採用しているのか?実は知りたくて、
3バージョンも借りてきて見たわけだが、余計にわからなくなった。
おまけに、劇中の革命騒ぎがいったいパリのどの革命なのか?
出来の悪い高校生だった僕は憶えていない。
間違いないのは、1789年のフランス革命ではないということ。
1830年と、スーパーに出ていたのを頼りに、調べてみた。
劇中の革命騒ぎは7月革命!、
2月革命というのもあったよね、、、これは労働者の革命、多分1845年。
もう一つ、パリコンミューンってのもあった、これは1871年、
日本でいえば明治維新直後。
1968年、パリ五月革命ってのもあった、、、これはおぼろげにに憶えている。
そうだ、劇中の因縁話として出てくるワーテルローの戦い、
これは確かナポレオン1世がイギリスに完敗した話だった。
ワーテルローは、フランス語読みでウォータールーが英語読み。
そのウォータルーが、
英仏を結ぶユーロスターのイギリス側の終点というのも、
イギリスも、相当執念深いね。
もう一つ、今回これを調べるまで、ワーテルローの戦いは、
ナポレオンがロンドン郊外のウォータールーまで
攻めて行って、負けたのだと思っていたが
ベルギーにワーテルローというところがあり、そこが戦場だったようだ。
歴史の勉強になった。
実は、昨年の今頃はヴェネツィアにはまってて、
塩野七生さんの著作だが、ヴェネツィアの歴史物を読んでいた。
「海の都の物語、ヴェネツィア共和国の1000年」
そこで、ヴェネツィア共和国に「引導」を渡すのがナポレオン1世。
しかし、ナポレオンもサンマルコ広場のあまりの美しさに、国立公園にする。
そう、ヴェネツィアは1797年ナポレオンに占領されるまで約1000年間
共和政治を保っていた、奇跡!
まぁ、塩野さんのその歴史本を読んでいると
フランスなんぞ、北からやってきた野蛮な田舎者という印象が強かった。
とりとめもなくなって、すみません。
ま、でも僕の贔屓目の印象で言って
ヴェルサイユ宮殿より、
サンマルコ広場にあるドゥッカーレ宮殿の密度は濃かった。
もともと、ベネツィアを訪ねる引き金は
「オペラ座の怪人」の、仮面舞踏会シーン。
、、、コンランしてきたので、今日はここまで。
ちなみに、遅い朝ご飯に食べたキムチ鍋が多すぎたので
予定の「カルボナーラ」は延期、
明日の朝は、残っている山ウドのキンピラでさらっと和食する。
shodaさん、山ウド、今が旬ですから、是非召し上がってください。
「タラの芽」も一緒に、天ぷらイイですね!

,,,,,そして、デザートに「ローズ」を見た。
おやすみなさい。

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